4階のトレーニングルームの窓から外を眺め、ぼんやり思った。「ここから飛び降りたら楽になるかな」。「パワフルカナ」と呼ばれ、日本バレーボール界の顔として人気を集めていたころだ。
力強いスパイクをたたきこみ、ファンの声援に応える。それが自分の役割だった。いや、「それができないなら自分の価値はない」と思っていた。逃げたい。何度も窓の外を見つめた。
「背が大きいから、一緒にやろうよ」。小学校に入った時点で身長138センチ。先輩から熱烈に誘われ、コートに立った。「体も弱くて、何の取りえもない」。でもバレーの時は頼りにされる。そんな自分が好きで、「五輪に出たい」と夢見た。
歩みは順調。小、中、高で日本一。高3の17歳で代表デビューを果たした。2003年のワールドカップ(W杯)では栗原恵さんと「メグカナ」コンビとして紹介されて人気者に。日本のエースになり始めたころ、笑顔が消えていった。
最初は不眠だった。04年のアテネ五輪前、不安で午前3、4時まで眠れない日が続いた。プレーに影響が出ると思うと余計に寝付けない。トレーナーから睡眠導入剤を提案されたが、薬に頼るのは抵抗があった。「薬がないと眠れない、と弱さを突きつけられたように感じた」。でも、一錠飲むと楽になった。
変化は他にもあった。誰かに見られていると思うと、体中から汗が出て目の前が真っ暗になった。ひどいときはその場にしゃがみ込んでしまう。だけど、誰にも言えなかった。「自分はエース」。強さを演じた。...
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