野球の指導者が「日本野球には日本野球の伝統がある」と言うことがあるが、私はちゃんちゃらおかしいと思っている。
そしてこの150年の間に世界のスポーツはどんどん変貌を遂げた。スポーツは「変わること」によって、激動の近代社会で市民権を得て、存在感を高めてきたのだ。スポーツができたことで、人々は「新しい楽しみ」「娯楽」が増え、人生の喜びが増えたのだ。
しかしもともと「長幼の序」にうるさく、秩序を重んじる日本人は、スポーツにも独特の価値観を与えるようになる。「「スポーツによって人格を陶冶する」「スポーツによって心身を鍛える」などなど。日本のスポーツは、厳しい師匠が弟子を鍛える「伝統工芸」「伝統芸」のようになってしまった。
その背景には「富国強兵」があった。明治期、到来したばかりのスポーツは、江戸時代の価値観を持つ年長者に「遊びか」と軽視された。スポーツ関係者はこれを普及させるために「スポーツで強い心身を作ることは、強い兵隊を作ることでもある。富国強兵に役立つ」と説得した。そのこともあって、スポーツは日本独自の進化をするようになるのだ。
野球も、早稲田大学監督だった飛田穂洲によって「野球道」の名を与えられ、心身を鍛え、チームの勝利のために選手が全力を尽くすのが「正しい姿だ」ということになった。その延長線上に「甲子園」ができ、日本野球の価値観が固まった。
野球は日本で最も成功したスポーツであり、多くの競技者を持っている。それだけに日本独特の「野球道」も広く普及した。師匠である監督、指導者の言うことは絶対。言われた練習を歯を食いしばってでもやる選手が優秀。
メディアは、そういうスタイルが、あたかも「日本野球の伝統」であるかのように喧伝し、甲子園を「聖地」であるかのように崇め奉った。
ちゃんちゃらおかしいと言うのはこのことだ。たかだか一世紀半しか歴史がない「昨日今日やってきた」ような野球が、1000年以上の歴史を持つ伝統芸能や、伝統工芸と同じように「日本の伝統」を口にする。そんな大層なものではないのだ。
「日本野球には長く受け継がれた伝統がある」「日本野球のスタイルは伝統だから守らなければならない」みたいな理屈は、アップデートできない指導者の「たわごと」なのだ。
野球だけでなく「似非伝統」に縛られるスポーツは多いが、さっさとそれを乗り越えるべき時が来ている。
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