知的障害のある人のスポーツを振興する国際組織「スペシャルオリンピックス」(SO)が、障害のない人と一緒に取り組む「ユニファイドスポーツ」の普及に力を入れている。プレーを通じ障害の有無にかかわらず同じ目標を追い求め、それにより知的障害者の社会参加を促す効果が期待される。11月には室内ホッケーの「フロアボール」で、障害のある人とない人の混成チームが競う国内大会が開かれた。共生社会の実現に向けた歩みを着実に進めている。(神谷円香)
スペシャルオリンピックス 知的障害のある人たちに日常的にスポーツをする場と、その成果発表の場を提供している国際組織。1962年、故ケネディ米大統領の妹ユニス・ケネディ・シュライバーさんが自宅の庭で始めた活動が発祥。組織化され世界に広まり、2021年現在、201の国と地域で約330万人の知的障害者が参加する。大会では年齢や運動能力が近い人をグループ分けした上で競い合い、全員を表彰する。世界大会は夏季、冬季それぞれを4年に1度開催。ユニファイドスポーツも実施され、日本は15年の夏季大会にバスケットボールのチームを派遣したのを機に、サッカーや卓球などにも対象を広げている。
フロアボールの競技人口は日本で約1000人と少ないが、発祥地のスウェーデンなど北欧では学校でも取り組まれているメジャーなスポーツ。知的障害者も比較的プレーしやすく、ユニファイドスポーツとしても普及している。
国内大会は長野市で11月18〜19日に開かれ、全国の6チームが参加。試合に出るのは、1チームで知的障害のある「アスリート」3人と、「パートナー」と呼ばれる障害のない2人の計5人。控えの選手も交代で出場できる。今回の結果を参考に、2025年の世界大会代表が決まる。
埼玉チームのアスリートの古屋健太さん(25)は当初、軽くて転がりやすいボールの扱いに戸惑ったが、今は県内の別のクラブでも練習に励むほど熱中。「コーチにも教わり、強いシュートを打てるようになって楽しい」と話す。
パートナーで、現役の日本代表の瀧澤瑛司さん(24)は競技団体から誘われ、新たな世界を知る機会になると参加を決めた。「教えるというより一緒に考える感じで、自分も成長できる」という。
◆障害のある人だけで完結させない
障害がない人が参加することで障害がある人の出場機会が減ることへの懸念が出ることもあるが、SOが目指すのは社会参加の促進。障害のある人だけで完結させず、さまざまな人と触れ合うことを理想とする。
東京チームのパートナーの正木七絵さん(33)は「目標に向かって一生懸命で、できなかったことができるようになる喜びを一緒に得られるのがSOの良さ」。表彰式でメダルを受け取り、アスリートたちにはじける笑顔を向けた。
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◆「ここが私の五輪」と語る元日本代表の軌跡
「スペシャルオリンピックス(SO)」の国内大会で11月に初めて実施された、知的障害のない人と一緒にプレーする「ユニファイドスポーツ」としてのフロアボール。その普及活動の一翼を担ってきたのが、元日本代表の高橋由衣さん(34)=川崎市=だ。現役時代に夢見た五輪への採用と出場は果たせなかったが、「人生をかけて取り組んできた競技が、共生社会の実現の手段になるなら誇らしい」と語る。
SO日本の職員として、長野市で11月18、19両日にあった大会の運営に携わった高橋さんは閉幕を見届け、目に涙を浮かべた。裏方に徹し、コートの外から参加6チームの熱戦を見守った。「初めて選手を続けるよりもやりたいと思った一つがこの大会。日本に戻ってきて良かった」
30年近くフロアボールに没頭。小学1年生で競技を始め、15歳で日本代表入りした。世界選手権には8大会連続で出場。大学卒業後に渡った本場・スウェーデンでは2軍が長かったが、最後はトップチームに昇格でき、実力を認められた。
◆互いにたたえ合う温かな雰囲気にひかれて
ただ、結果だけが求められる世界は選手として成長できた一方、厳しい練習の日々では競技の楽しさよりつらさを感じるときも増えた。現役を続けるか悩みを深めていた昨年、所属クラブ傘下にSOチームもあると知る。「練習に交ぜてもらうとすごく楽しくて。楽しいから競技を始めたんだよな、と思い出させてくれた」。実績よりも練習を積む過程を大事にし、互いにたたえ合う温かな雰囲気。これまでと違う価値観もまた良いと実感した。
フロアボールに学校でも取り組むスウェーデンでは、障害があっても一緒にプレーできるような工夫が当たり前にある。「共生社会に向けた教材にできないか」と考え、大学院で研究も終えたころ、SOに協力する国際競技団体が各国での普及に力を入れ始めた。日本での普及を担い、既に2年前から元日本代表の田島達朗さん(37)と活動も始めていた。
選手として関わる道も考えていた今年、SO日本で新たに学校へユニファイドスポーツを広める担当を任せてもらえるという話が来た。スウェーデンでは教員も務めており、教育は携わりたかった分野。選手を引退し、帰国を決断した。
子どものころから、フロアボールが五輪に採用され、日本代表として出場することを願ってきた。オリンピアンになる夢をかなえることはできなかったが、SOの大会会場に立ち「ここが私の五輪ってことで良いかな」とも感じ始めた。2025年の世界大会に日本のチームと行けたら、きっとそう言い切れる。
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