10月10日は「スポーツの日」である。
もともとは昭和39年に行われた東京オリンピック開会式の日を「体育の日」として制定されたもので「ハッピーマンデー制度」により平成12年から10月の第2月曜に移行し、「改正祝日法」で令和2年から「スポーツの日」になった。
一昨年、昨年は2度目の東京五輪の開幕にあたる7月の開会式予定日に祝日を移し、今年はカレンダーの巡り合わせで、本来の「10月10日」に戻った。
「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う」ことを趣旨としているが、日付の設定には、昭和の東京五輪の感動と興奮を後世に伝える意義も込められていた。
戦後19年で開催した大会では国内外の選手が主役となり、焼け跡から立ち上がった東京と日本の復興を世界に強く印象付けた。日付が動き、名称も変わることで、そうした意義を見失っていないか。五輪を称(たた)える日として、固定された祝日に戻すことを望みたい。
昨年、コロナ禍の中で開催された2度目の東京五輪・パラリンピックでも選手らの奮闘は多くの新たな感動を生んだ。
スケートボードなどの若い競技で大技を競い、国境を超えて励まし合うライバルの姿は、「卓越、友情、尊重」を標榜(ひょうぼう)する五輪の価値を存分にみせてくれた。
それがどうだ。あれから1年余を経て、組織委員会の元理事を収賄側とする「五輪汚職」の広がりはとどまるところを知らず、「汚れた五輪」「負の遺産」といった評価がまかり通っている。
競技に全力を尽くした選手や、大会を支えたボランティアらに一切の罪はない。五輪やスポーツそのものに対する中傷も、全く的を外している。
怒りを向けるべきは、五輪の価値を毀損(きそん)し、不正に関与した全ての関係者であり、そうした構図の蔓延(まんえん)を許してきたスポーツ界の無責任、無能ぶりである。
五輪は大いに傷ついた。汚名返上に先頭を切るべきは日本オリンピック委員会(JOC)をはじめとするスポーツ界である。
自らの聖域を不正の温床とされた憤りや深い反省の弁が聞かれないのは情けなくはないか。「スポーツの日」を期して、再生への覚悟を胸に刻んでほしい。
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